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プロフィール

by ouba-a

長崎県 長崎市 出身  長崎県で中学校の美術教員を12年勤めながら、東京三世社「クレセント」でデビュー。  現在、ぶんか社で「家庭ミステリー」で保険調査員咲耶シリーズを連載中。  他に竹書房、宙出版の女性誌にも作品を掲載中。

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不幸の連鎖
やっと今日から、後かたづけや、雑用を始めました。
昨日は、今回の修羅場が、睡眠時間を3時間ずつ減らしほぼ貫徹な状況だったのでとっても、不規則な時間で起きたり、寝たりしておりました。
やはり3LDKは広いですし、昨年から家事がストップしている状況なので、どこからやっていけばよいのか、頭を悩ますほど、散らかっております〜、汗

仕事も早く始めないと、また編集さんにご迷惑をかけるので、3月いっぱいまで、焦って仕事をやらなければなりません。
でも、本当に片づけないと、アシスタントさんを呼んでの作業に支障をきたします…。
一人でやるのなら、どんなに散らかってても、よいのですがね。

弟とも、直接メールができ、やはり入院した理由は、インフルエンザだけではなく、他のところも悪いようで、あっちこっちの検査をしており、入院は長引きそうです。
お嫁さんや、姪っ子、甥っ子の心配をしております。
母が、まだ入院するほど、体調を崩していないのが、救いです。

弟が入院する3日前に、実はお嫁さんと話をしておりました。
お嫁さんは、その時から弟が心配といっておりました。
本当に、体調がずっと悪かったのです。

「祖母の49日がやっと終わって、お互いにこれから普通の生活に戻れると思っていたのにね」
と話をしました。
私は、チーフアシが仕事途中で、急に辞め落ち込んでおり、彼女も2月になって、実家のお父さんが、骨折をして入院をしました。

お互いに慰め合って、私は
「不幸なことがたくさんあるほど、その分幸せも大きく戻ってくるんだよ。
 何か12年周期で、必ずいい年と悪い年があるそうだから」
と、話しておりました。

私も、ずいぶん昔になってしまうのですが、高校時代があまりにも楽しくありませんでした。
卒業した高校は当時進学校で有名で、試験ばかりあり、毎日予習復習を4時間やらないと、追いついていかない学校でした。
もちろん、漫画も当時イラストなど描いていたのですが、1ヶ月に数枚のイラストしか描けませんでした。

美術部にも所属し、副部長もやったのですが、2年から同じクラスの部長と折り合いが悪く、かなりきつい性格の人だったので、いじめられておりました。
多分、副部長として私の力不足もあったと思います。
そのせいか高校3年になって、受験する前に、じゅうむ炎にかかり、尿からたんぱくが出て、微熱がひかず、本当に体がだるくて、学校も1年間で1ヶ月間も休みました。

大学受験も、東京の私立の美大と九州の国立大学を受ける予定でしたが、東京まで受験に行ったら、本命の国立の時に体力がなくなるから、辞めなさいと1つにしぼりました。
それで、みごと国立をすべりました。
医大がすぐ隣にある大学で、2次試験のあと名前を呼ばれて、尿の検査をされました。

共通1次は、まあまあでしたので、実技が下手な可能性もありますが、それも落ちた原因だと思います。

その後、途方にくれる私、両親はもともと美大に進学するのは、反対でした。
お金がかかりますし、就職先が、少ないからです。
でも、私の不合格を聞いて泣いてくれた友人が
「私立の補欠次試験を受けたら?」
と言ってくれて、両親は2つ私立の短大を受けさせてくれました。
本当にありがたかったです。

後で受けた短大は、2つとも合格で、面接の時から、
「うちに来てください」
と言われました。

合格もほぼ決定になって2つの大学の試験が終わったその日の夜、母から初めて祖父が死んだことを知らされました。
私が受験中だったため、危篤の知らせも教えてくれませんでした。
小さい頃から、私をすごくかわいがってくれた祖父でした。

本当に、ここまで「これでもか〜!」というほど不幸続きでした。

でも、大学に通い始めたら、本当に変わったのです。
大学も本当に楽しく、同じ趣味の友達が、何名もでき、楽しくて仕方がありませんでした。
短大だったので、後1年院生で残る話も出ていたのですが、不可能と思われた教員採用試験に現役で合格し、卒業するときは、学長賞をいただきました。
「本当に、こんなに幸せでいいの?」
と、自分で思うほどでした。

教師になって、高校時代の美術部の部長や、同じ国立を受けて合格した友人とも会いました。
同じ美術の教員の試験を受けているのですが、国立4年を卒業した友人は、最後まで受かりませんでした。
部長は2年浪人をして、進学をあきらめ、銀行に就職して、わざわざ仲の悪かった私の実家まできて、
「貯金をしてくれないか?」
と、頼みにきました。

その時人生は変わる物だと、そして、絶対悪いことがあれば、いいことがあると自分で思うようにしてきました。
もちろん悪いことは、自分で巻いた種だということはありますので、それは反省をして変えていかなければなりません。

でも、今の私や弟夫婦に起こった身内の不幸は、回避できないものです。
こういうどうしようもない時が、誰にもあります。
あがいて見えるかもしれませんが、今やれることをやるしかないのです。
必ず不幸の連鎖は、終わります。

しばらくの辛抱が、あと何ヶ月か何年か私にもわかりません。
不幸が続いていても、そこで学ぶことも多々あります。
不幸に酔いしれず、やっていきたいと思います。
by ouba-a | 2005-02-18 22:57 | 日常